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生コン車の歴史

生コンの発展を支えた運搬手段の改良

 日本で最初の生コン工場は昭和24年11月15日竣工で、東京コンクリート工業(株)(磐城セメント(株)が設立)、その後磐城コンクリート(株)、磐城セメント(株)(現、住友大阪セメント(株))を経て東京エスオーシー(株)業平橋工場として創業しておりましたが、当地が東京スカイツリーの建設用地となり、平成19年10月に生コンのパイオニアとしての多くの功績を残し幕を閉じた。
 現在、業平橋工場の50周年を記念し、東京エスオーシー(株)が「生コンクリート工場発祥の地」として記念碑を建立設置されておりましたが、その後完成した東京スカイツリーの一角に記念碑が移設建立されております。
 
 すべてのパイオニアがそうであるように、製造面と同様に輸送面では苦労が多かった。アメリカではミキサートラックが普及している情報は伝わっていたが、当時はそれを輸入できる時代ではなかった。
 
 ダンプトラックさえ簡単には手に入らなかった。創造当時は、輸送面で苦労が有った様ですが試行錯誤の末、昭和25年から、使用していたダンプトラックからアジテータダンプトラック(攪拌翼付きダンプトラック)を考案し、輸送方法も確立し、安定した品質の生コンが供給され普及し始めました。
 
 その後、現在のミキサー車の原型となった、傾胴型トラックアジテータ車の開発は昭和26年に磐城コンクリートが犬塚製作所と共同で研究を始め、実物の3分の1程度の小型により種々実験を重ね昭和27年に国産第1号の試作車を完成した。
 
 国産初の傾胴型トラックアジテータ車の開発の成功により生コン発展の基となった。

生コンクリート工場発祥の地

  生コンクリート産業としての発祥は、磐城セメント㈱(現、住友大阪セメント)が全額出資で設立した、東京コンクリート工業㈱が東京都墨田区押上町7番地の東武鉄道業平橋駅構内に、昭和24年11月に日本初の生コン工場・業平橋工場が完成したことに始ります。
 

生コン輸送用ダンプトラック

 終戦間もない昭和24年~25年頃は、都市内でもダンプトラックは珍しく、最大級の国産トラックもやっと5トンクラスのものが稼働していたと伝えられている。
 
 昭和25年に磐城コンクリート工業(株)で開発された日本初の生コン輸送用の油圧式ダンプトラック、積載量2m3。
 
 その後荷箱の断面を半円形型とし、その中心部に羽根を付けた軸を設置、左右に動かし強制撹拌した。
 
 この攪拌機付のダンプトラックは昭和26年夏からの地下鉄丸ノ内線新設工事では主力運搬車として活躍したと伝えられています。
 
 

東京温泉新築工事現場風景

 昭和25年、磐城コンクリート工業(株)が初めて建築物件として生コンクリートを納入した。
 
 磐城コンクリート工業は、昭和24年11月に日本初の生コン工場として設立し、創業当時は輸送・製造面で苦労が有ったようですが試行錯誤の末、輸送方法も確立し、安定した品質の生コンが供給され普及されていきました。
 
 ダンプ式運搬車に改良されたが、荷卸し時は生コンが分離し加水再練りして打設するなど大変な苦労があった。

水平胴型アジテータダンプトラック

昭和28年 関西地区では旧大阪セメント(株)が全額出費して設立した、大阪生コンクリート(株)が佃工場で操業を開始した。当時使用されたアジテータ車。

国産初の傾胴式トラックアジテータ車

 昭和27年国産初の傾胴型トラックアジテータ車で、磐城コンクリート工業(株)で開発され、「イワキ生コンクリート」の看板と側板は、開発に苦心した動力と伝達部分や軸受方式を遮断するために付けられ、その後も寸法を小さくして「住友大阪生コンクリート」の看板となって歴史と共に生きています。

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